ライスシャワー(右)に敗れた菊花賞
あの卓越したスピード、あの桁違いの瞬発力、あのピッチ走法、あの短距離体型。神がミホノブルボンに授けたのは、まぎれもなく父マグニテュードが伝える短距離ランナーの資質だった。管理していた戸山為夫調教師も、その昔、取材でこう話している。
「この馬が生まれ持った資質はマイラー(短距離馬)です。長距離を勝つには、猛特訓でスタミナを植えつける必要があった。スピードや瞬発力は先天的な要素が大きいが、スタミナはスパルタ調教を課すことで可能というのが私の持論です」
だが、悲しいことにその考えを実証してくれる馬に、なかなかめぐり合えなかった。従来の調教設備ではおのずと限界があり、スパルタ調教を課すと疲労骨折や疲労炎症を起こして、馬がつぶれていった。そのため戸山は「壊し屋」と呼ばれていた。
しかし、トレーニングセンターに坂路が完成し、スパルタ調教が可能となった。坂路はスピードが出ないうえに、走路がウッドチップだから脚に負担がかからない。ミホノブルボンが厩舎に入ってきたのは、ちょうどそのころであった。
調教を課すと、なかなか非凡なスピードを見せる。消化器系の内臓が丈夫なこともわかった。猛特訓を課すうえで、これは重要なファクターである。食欲旺盛で強靭な内臓の持ち主でなければ、ハードな調教に耐え得ることはできない。
「やっと自分の考えを実証する馬にめぐり合えた。こいつを鍛え上げて、長距離の大レースを勝って見せる」。その日から、戸山はスパルタ調教の鬼と化した。
2歳秋のデビュー戦。ミホノブルボンは大きく出遅れる不利がありながら、直線一気の追い込みを決めて快勝した。勝ちタイムがレコード。ラスト600mに要したタイムも33秒1で、当時の2歳馬としては史上最高という衝撃的なデビューだった。
2戦目も6馬身の楽勝。次いでGI初挑戦の朝日杯3歳S(現朝日杯フューチュリティS)も勝利して、最優秀3歳(現2歳)牡馬に選ばれた。だが、ここまでは短距離戦。クラシック第1弾の皐月賞、第2弾の日本ダービーを勝つには、スタミナが要求される。戸山は徹底的にしごいた。
このままではつぶれてしまう。周囲は心配したが、ミホノブルボンはこの猛特訓に耐えて、スタミナを身につけていった。3歳初戦のスプリングSを7馬身差で勝ち、さらに皐月賞も圧勝で飾った。
迎えた日本ダービー。ミホノブルボンはハイペースで逃げたにもかかわらず、最後の直線に向いてもスピードが衰えない。後続をまったく寄せつけず、戴冠のゴールを駆け抜けた。戸山のスパルタ調教が、距離限界説を吹き飛ばしたのである。
残るは秋の菊花賞。これを勝てば歴史に残る三冠馬の栄誉を手にする。しかしスプリンターにとっては3000mは、あまりにも過酷な距離だった。それでも戸山は諦めず、さらなるスパルタ調教を課した。
迎えた菊花賞。2番手を進んだミホノブルボンは長距離をハイペースで走りながら、最後の直線に向いてもバテなかった。しかし勝利を目前にして、後ろから忍び寄ってきたライスシャワーに交わされ、2着に敗れて栄光の三冠馬は幻と消えた。だが、その走破タイムは、2着でも従来のレコードを破る優秀なものだった。
勝ったライスシャワーは父、母の父ともに長距離が得意なステイヤー血統であった。神から天性の一流のスタミナを授かって生まれていたのである。三冠がかかった最後の大一番、菊花賞。皮肉にもここで、人間から授かったスタミナがついに敗れたのだった。運命のいたずらと言うしかない。(吉沢譲治)
◆レース詳細
1992年11月8日
第53回 菊花賞(GI) 京都/芝右 3000m/天候:晴/芝:良
1着 ライスシャワー 牡4 57 的場均
2着 ミホノブルボン 牡4 57 小島貞博
3着 マチカネタンホイザ 牡4 57 岡部幸雄
◆競走馬のプロフィール
ミホノブルボン(牡4)
父:マグニテュード
母:カツミエコー
騎 手:小島貞博
調教師:松元茂樹(栗東)
馬 主:ミホノインターナショナル
生産牧場:原口圭二
※年齢は当時の旧年齢表記
■1992年 菊花賞
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