マヤノトップガン
◆変幻自在GIハンター(マヤノトップガン) 逃げ、好位差し、追い込み。柔道や相撲の得意技と同じで、競走馬にもそれぞれ得意とする戦法がある。それがファンに愛されるキャラクターをつくり出し、「白い逃亡者」といったニックネームがついたりする。
だが、マヤノトップガンにはその得意な戦法というものがなかった。ある時は華麗な逃げ、ある時は怒涛の追い込み…。変幻自在の走りで大レースを次々と勝っていった。長距離が得意な馬をステイヤーと呼ぶが、この手の馬は総じて晩成タイプが多い。マヤノトップガンも最初のうちは素質の片鱗すら見せていなかった。
デビューは1995年、3歳を迎えた1月の半ば。2連勝すればクラシック第1弾の皐月賞に間に合わないこともなかったが、5着に敗退。2戦目も3着。もはや皐月賞は絶望的となり、3戦目も3着。4戦目にやっと初勝利を飾ったが、走ったのはすべてダートの1200m。芝のクラシックをめざすなど夢のまた夢だった。
昇級初戦が3着、次走も3着。5月28日、デビュー7戦目となるレースで2勝目をあげたが、それは3歳馬の最高峰レースで、クラシック第2弾の日本ダービーが行われた日である。しかも、その2勝目はローカルの中京競馬場であげたものだった。
2勝目はダートの1700mだったが、それまではすべて1200mの短距離戦。「並みの馬」「ダートの短中距離馬」という評価でしかなかった。半年後、芝の長距離大レースとして有名な、クラシック第3弾の菊花賞を勝つなど、このとき誰が予想しただろう。
続く8戦目。初めて芝の中距離を使ったところ、3着に善戦。9戦目も再び芝を使うと大差で勝利した。芝への高い適性を示したのである。その秋、菊花賞トライアルの神戸新聞杯は初重賞挑戦ながら、先行してクビ差の2着。続く京都新聞杯も追い込み策でクビ差の2着に善戦。勝ちこそ逃したものの、春とはまるで違う走りっぷりに、クラシック制覇の期待が高まった。
迎えた菊花賞は混戦模様だった。皐月賞の優勝馬ジェニュインは長距離を嫌って回避。日本ダービーの優勝馬タヤスツヨシは調子を崩していた。18年ぶりの牝馬の参戦となった、オークスの優勝馬ダンスパートナーが1番人気に推されたことでも、主役不在の混戦ぶりがよくわかる。
だが、マヤノトップガンは終始攻める競馬に徹し、最終コーナーでは早くも先頭に立った。後続は追いかけるのに精一杯でスタミナを使い果たし、引き離されるばかり。それを尻目にゴールまで力強く駆け、レコード(当時)で勝利した。春の日本ダービー当日、ダートでやっと2勝目をあげた遅咲きの馬が、夏を越して逞しく成長し、最後のクラシックをつかみ取ったのである。
続く有馬記念。今度は一転してスタートから逃げる戦法に出た。直線に向いても後続を寄せつけない。まんまと逃げ切り勝ちを収めて、最優秀4歳(現3歳)馬どころか、年度代表馬の勲章までも手にした。
翌1996年の宝塚記念は、好位差しの戦法で快勝。その後、やや伸び悩んだたため、1997年の阪神大賞典で鞍上の田原成貴は最後方からの競馬を試みる。スタンドが大きくどよめいたが、すべては杞憂に終わった。楽に馬なりのまま上がっていくと、先行馬をまとめて差し切って勝利したのである。
続く天皇賞・春も後方待機策。すると、またも先行馬を大外から豪快に差し切り、従来のレコードを2秒7も更新するレコード(当時)で圧勝し、GI4勝目を飾った。まさに変幻自在のGIハンター。しかも、驚異のレコード勝ち2回。その衝撃のレースぶりは、今も多くのファンの脳裏に焼きついている。(吉沢譲治)
◆レース詳細
1997年4月27日
第115回 天皇賞・春(GI) 京都/芝右 3200m/天候:晴れ/芝:良
1着 マヤノトップガン 牡6 58 田原成貴
2着 サクラローレル 牡7 58 横山典弘
3着 マーベラスサンデー 牡6 58 武豊
◆競走馬のプロフィール
マヤノトップガン(牡6)
父:ブライアンズタイム
母:アルプミープリーズ
騎 手:田原成貴
調教師:坂口正大(栗東)
馬 主:田所祐
生産牧場:川上悦夫