グラスワンダー(撮影:下野雄規)
◆さまざまなドラマを生んだ最強世代 プロ野球のオールスターゲームにならい、競馬の世界にもファン投票による夢のグランプリレースをつくろう。1956年、日本中央競馬会理事長の有馬頼寧の発案で、「中山グランプリ」が創設された。翌年、その有馬が亡くなったのを機に「有馬記念」と改称されて現在に至っている。
千葉の中山競馬場で1年の総決算として行われる有馬記念は、暮れの風物詩として定着。一般のメディアまでもが取り上げるため、抜群の知名度を誇っている。グランプリレースにはもう一つ、「宝塚記念」がある。関西にも欲しいという声が上がり、1960年に創設された。同じくファン投票方式で、こちらは初夏に阪神競馬場で行われる。
グラスワンダーはこのグランプリレースを3連覇した馬だ。1995年生まれの同世代にはエルコンドルパサー、スペシャルウィークがいる。まだ外国産馬にクラシックの出走権がなく、アメリカ産馬のグラスワンダー、エルコンドルパサーは別路線を歩んだが、他にも活躍をした馬が多く、史上最強と呼ばれる世代だ。
2歳9月のデビュー戦が3馬身。2戦目のアイビーSが5馬身。さらに3戦目、重賞初挑戦の京成杯3歳S(現・京王杯2歳S)が6馬身。グラスワンダーはクラスが上がっても、後続との着差を広げるばかりだった。
4戦目のGI挑戦、朝日杯3歳S(現・朝日杯フューチュリティS、1600m)は、レース史上初めて1分34秒台の壁を破る、1分33秒6のレコード勝ち。その底知れぬ強さに、競馬マスコミは「マルゼンスキーの再来」と騒いだものである。
マルゼンスキーは8戦不敗まま引退した名馬で、2着につけた着差の合計が61馬身もあった。1976年の朝日杯3歳Sもほぼ馬なりでレコードを樹立。持込馬(受胎して輸入された繁殖牝馬が、日本で産んだ馬)だったが、当時は外国産馬と同じ扱いだったためクラシックに出走できず、幻の三冠馬と呼ばれた。朝日杯3歳Sまでのグラスワンダーの強さは、そのマルゼンスキーとうり二つ。外国産馬のためクラシックに出走できない境遇までもが一緒だった。
救いはマルゼンスキーの時代と違い、外国産馬が出走できる路線が拡充されていたことだ。ところが、年が明けて3月に骨折。復帰後もグラスワンダーは脚部不安と、さまざまなアクシデントに悩まされることになる。
復帰の秋2戦は5着、6着。このため続く初挑戦の有馬記念は屈辱の4番人気だったが、春の天皇賞馬メジロブライト、同世代の皐月賞、菊花賞を勝った二冠馬セイウンスカイ、女傑エアグルーヴら強豪を退けてみごと勝利した。外国産馬の有馬記念制覇は史上初のことであった。
翌年夏の宝塚記念も、同世代の日本ダービー馬スペシャルウィークを3馬身破り、グランプリ連覇を果たす。しかし、つねに満身創痍で満足な状態で出たことは一度もない。暮れの有馬記念も、筋肉痛など不安要素が山積していたが、グラスワンダーはグランプリレースになると不屈の闘志を燃やした。
スペシャルウィークと壮絶な競り合いの果てに、最後は鼻面を並べてゴール。わずか4センチの差で有馬記念2連覇、グランプリレース3連覇の偉業を成し遂げた。グラスワンダーは種牡馬となってもスペシャルウィーク、エルコンドルパサーと血のバトルを展開し、さまざまなドラマを生んだ。3強の血は絶えることなく今も息づいている。(吉沢譲治)
◆レース詳細
1999年12月26日
第44回 有馬記念(GI) 中山/芝右 2500m/天候:晴/芝:良
1着 グラスワンダー 牡5 57 的場均
2着 スペシャルウィーク 牡5 57 武 豊
3着 テイエムオペラオー 牡4 55 和田竜二
◆競走馬のプロフィール
グラスワンダー(牡5)
父:Silver Hawk
母:Ameriflora
騎 手:的場均
調教師:尾形充弘(美浦)
馬 主:半沢
生産牧場:Phillips Racing Partnership & John Phillips
※年齢は当時の旧年齢表記
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